武蔵村山市 十二所神社公園
2020-12-21 武蔵村山市 十二所神社公園 1時間20分 晴れ
月曜日、武蔵村山市に行き、市立野山北公園の周りを散策しました。
公園利用者もカタクリの湯第二駐車場を利用します。
公園の池に噴水は上がっていますが凍結しています。釣り人が氷を割っていました。

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春にはカタクリの群落の見られる下の公園から遺跡広場まで階段を上ります。
落葉樹の葉っぱはすっかり落ちていて、冬の風景になっています。足元にはたくさんの落ち葉。
見上げると青い空

遺跡広場から適当に道を選んで歩いて行くと、阿弥陀堂の墓地に出ました。
見晴らしがよく、遠くに富士山が見えます。

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この辺りは三ツ木5丁目・・・
月曜日、武蔵村山市に行き、市立野山北公園の周りを散策しました。
公園利用者もカタクリの湯第二駐車場を利用します。
公園の池に噴水は上がっていますが凍結しています。釣り人が氷を割っていました。

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春にはカタクリの群落の見られる下の公園から遺跡広場まで階段を上ります。
落葉樹の葉っぱはすっかり落ちていて、冬の風景になっています。足元にはたくさんの落ち葉。
見上げると青い空

遺跡広場から適当に道を選んで歩いて行くと、阿弥陀堂の墓地に出ました。
見晴らしがよく、遠くに富士山が見えます。

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この辺りは三ツ木5丁目・・・

神社が沢山あります。
阿弥陀堂

峯守稲荷神社

十二所神社

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稲荷大明神

古くから人が住んでいたのだと思います。
武蔵村山市の歴史は
市の公園の案内のところに「十二所神社公園」があります。
三ツ木5丁目は→十二所神社
歩行距離 3.8km
歩数 5847歩
阿弥陀堂

峯守稲荷神社

十二所神社

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稲荷大明神

古くから人が住んでいたのだと思います。
武蔵村山市の歴史は
武蔵野台地の西辺は、古くから村山郷と呼ばれていました。「村山」という地名の起こりは、狭山丘陵の峰々を指した「群山(むれやま)」が訛って「村山」になったといわれています。→武蔵村山市のサイト トップページ > 市政情報 > 武蔵村山市の紹介 > 武蔵村山市の歴史
「村山」の名前が初めて歴史に刻まれたのは、平安時代末期に登場した武蔵七党のひとつ、村山党でした。この村山党は、狭山丘陵の生産力を背景にした武士団で、「村山三里」という丘陵の南側が地形的に守りやすいことから、この地に根を張ったといわれています。
市の公園の案内のところに「十二所神社公園」があります。
三ツ木5丁目は→十二所神社
歩行距離 3.8km
歩数 5847歩