国分寺市民俗資料室
2020-07-25 国分寺市民俗資料室 30分 雨
土曜日、予約してあった本多5丁目にある国分寺市民俗資料室を見学しました。武蔵国分寺跡資料館から来た係員が対応してくれます。

さほど広くない一室に、農具・民具などがぎっしりと展示されています。本多家などの寄贈品。(明治以降のもの)

→LargeImage
東山道などの街道筋に集落があったけれど、玉川上水以前は、作物を栽培していたのは国分寺村と恋ヶ窪村だけ。
ハケの上に縄文時代までの遺跡しかないのは、水がなくて耕作ができなかったから。
新田はすべて玉川上水以降。
玉川上水ができてからは、恋ヶ窪分水が水田に使われた。
このあたりの土は関東ローム層で水田に適さない。水田も下下田で米は売り物にならず、自家消費用であった。水稲ができないところは陸稲と小麦。色々なものを栽培して、年貢は銭で納めていた。陸稲は収量が水稲の半分で、これも自家消費用。片手間に養蚕もしていた。
養蚕の苦労話、できた繭をなかなか引き取らずに羽化させ安く買いたたかれた。農家は対抗して温度を上げて蛹を殺したり、低温のところにおいて羽化を遅らせたりしたのだとか・・・
ついでなので、疑問に思っていたことを聞きます。
遺跡に案内板がないこと
→必ずあるわけではない。発掘後、可能ならば遺跡があることを示す杭を打つが、メンテナンスはしない。本町遺跡に説明板があるのは、近年発掘して古いものが傷んでいたから。
一目見て、ガラクタだと感じたのは一つ一つの道具に思い入れがないから。帰宅してぼけた年表の写真を見てちゃんと読んでおけばよかったと後悔。
ただ話を聞いただけなので、忘れたこともあるだろうし、間違いもあると思う。せっかくなので、図書館で郷土史の本を借りてこよう。
場所は→国分寺市民俗資料室
雨の中、合羽を着て歩いて行きました。
往復距離 約2.2km
歩数 4217歩
土曜日、予約してあった本多5丁目にある国分寺市民俗資料室を見学しました。武蔵国分寺跡資料館から来た係員が対応してくれます。

さほど広くない一室に、農具・民具などがぎっしりと展示されています。本多家などの寄贈品。(明治以降のもの)

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東山道などの街道筋に集落があったけれど、玉川上水以前は、作物を栽培していたのは国分寺村と恋ヶ窪村だけ。
ハケの上に縄文時代までの遺跡しかないのは、水がなくて耕作ができなかったから。
新田はすべて玉川上水以降。
玉川上水ができてからは、恋ヶ窪分水が水田に使われた。
このあたりの土は関東ローム層で水田に適さない。水田も下下田で米は売り物にならず、自家消費用であった。水稲ができないところは陸稲と小麦。色々なものを栽培して、年貢は銭で納めていた。陸稲は収量が水稲の半分で、これも自家消費用。片手間に養蚕もしていた。
養蚕の苦労話、できた繭をなかなか引き取らずに羽化させ安く買いたたかれた。農家は対抗して温度を上げて蛹を殺したり、低温のところにおいて羽化を遅らせたりしたのだとか・・・
ついでなので、疑問に思っていたことを聞きます。
遺跡に案内板がないこと
→必ずあるわけではない。発掘後、可能ならば遺跡があることを示す杭を打つが、メンテナンスはしない。本町遺跡に説明板があるのは、近年発掘して古いものが傷んでいたから。
一目見て、ガラクタだと感じたのは一つ一つの道具に思い入れがないから。帰宅してぼけた年表の写真を見てちゃんと読んでおけばよかったと後悔。
ただ話を聞いただけなので、忘れたこともあるだろうし、間違いもあると思う。せっかくなので、図書館で郷土史の本を借りてこよう。
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場所は→国分寺市民俗資料室
雨の中、合羽を着て歩いて行きました。
往復距離 約2.2km
歩数 4217歩