軽井沢町 千ヶ滝 御影用水五社宮を訪ねる
2018-06-18 軽井沢町 千ヶ滝 御影用水五社宮を訪ねる 1時間 曇り
月曜日、。セゾン現代美術館近くにある御影用水五社宮に立ち寄りました。千ヶ滝せせらぎの道を歩いた後に。
ネットで得た情報を整理すると次のようになります。
千ヶ滝から流れ出た水は里池に注ぎこむ。流れは、上堰(上センギ)と下堰(下センギ) にわかれる。下セギは400mほど下流で湯川用水(白糸の滝を源流とする湯川より取り入れ)と合流する。上堰と下堰は、軽井沢町追分の西で合流する。
御影用水は1650年に作られた。1957(昭和32年)~1971年(昭和46年)に改修工事が行われた。1967年(昭和42年)に軽井沢町追分下堰に温水路ができた。
御影用水五社宮にまつられているのは
秋葉神社、弁財天、権十稲荷、山の神

柏木小右衛門碑
千加瀧潼碑

千加瀧潼碑の説明は

千ヶ滝不動尊(3代目)は千ヶ滝の滝の辺に。

左側に
不動明王像(崩壊した岩に埋まっていた、千ヶ滝の横の滝の岩の上にあった石像)
千ヶ滝不動尊(東日本大震災で割れた、昭和6年から千ヶ滝のそばにあったもの:2代目)

千ヶ滝不動尊の1代目は1868年(明治元年)の水害で行方不明になったとのこと。
里池

御影用水の里池と表示

上堰(上センギ)と下堰(下センギ)に分かれる
今日の千ヶ滝は・・・

月曜日、。セゾン現代美術館近くにある御影用水五社宮に立ち寄りました。千ヶ滝せせらぎの道を歩いた後に。
ネットで得た情報を整理すると次のようになります。
千ヶ滝から流れ出た水は里池に注ぎこむ。流れは、上堰(上センギ)と下堰(下センギ) にわかれる。下セギは400mほど下流で湯川用水(白糸の滝を源流とする湯川より取り入れ)と合流する。上堰と下堰は、軽井沢町追分の西で合流する。
御影用水は1650年に作られた。1957(昭和32年)~1971年(昭和46年)に改修工事が行われた。1967年(昭和42年)に軽井沢町追分下堰に温水路ができた。
御影用水五社宮にまつられているのは
秋葉神社、弁財天、権十稲荷、山の神

柏木小右衛門碑
千加瀧潼碑

千加瀧潼碑の説明は

千ヶ滝不動尊(3代目)は千ヶ滝の滝の辺に。

左側に
不動明王像(崩壊した岩に埋まっていた、千ヶ滝の横の滝の岩の上にあった石像)
千ヶ滝不動尊(東日本大震災で割れた、昭和6年から千ヶ滝のそばにあったもの:2代目)

千ヶ滝不動尊の1代目は1868年(明治元年)の水害で行方不明になったとのこと。
里池

御影用水の里池と表示

上堰(上センギ)と下堰(下センギ)に分かれる
写真は、クリックすると大きく見られます。
今日の千ヶ滝は・・・

水量が多くて、滝らしくて気持ちがいい。
散策路、温水が少し湧き出ているところ

咲いていたのは

御影用水五社宮は→軽井沢にて 御影用水五社
参照したのは、
(→小諸市 天領の里・御影用水史料館)
(→長野県魅力発信ブログ 追分の温水路を訪ねて その1 )
(→長野県魅力発信ブログ 追分の温水路を訪ねて その2 )
「長野県魅力発信ブログ」の情報源は
「御影 用水・新田・陣屋」柏木易之著 2006.01.01
この本の軽井沢図書館の資料検索での内容は
御影新田他用水之図/小諸藩の用水・新田開発/信濃の天領陣屋/御影用水・新田と柏木小右衛門/柏木家略年表/柏木家略系図/柏木家実方先祖書/柏木家と月向山金剛院/信州佐久御影郷開発之碑文/御影用水/分水の枡伏せ/御影新田村 ほか
貸出不可
今度図書館に行ったら見てみよう。
御影用水資料館にも行ってみたいと思います。
散策路、温水が少し湧き出ているところ

咲いていたのは

御影用水五社宮は→軽井沢にて 御影用水五社
参照したのは、
御影用水(みかげようすい)は1650年(慶安3年)に柏木小右衛門により開発された用水路。その水源は、長野県北佐久郡軽井沢町の浅間山麓の千ヶ滝と湯川である。(→ウィキペディア)
(→小諸市 天領の里・御影用水史料館)
(→長野県魅力発信ブログ 追分の温水路を訪ねて その1 )
(→長野県魅力発信ブログ 追分の温水路を訪ねて その2 )
「長野県魅力発信ブログ」の情報源は
「御影 用水・新田・陣屋」柏木易之著 2006.01.01
この本の軽井沢図書館の資料検索での内容は
御影新田他用水之図/小諸藩の用水・新田開発/信濃の天領陣屋/御影用水・新田と柏木小右衛門/柏木家略年表/柏木家略系図/柏木家実方先祖書/柏木家と月向山金剛院/信州佐久御影郷開発之碑文/御影用水/分水の枡伏せ/御影新田村 ほか
貸出不可
今度図書館に行ったら見てみよう。
御影用水資料館にも行ってみたいと思います。