国分寺市 日本の宇宙開発発祥の地 に行ってみた
2017-01-23 日本の宇宙開発発祥の地 に行ってみた 1時間20分 晴れ
午前中は暖かかった月曜日の午前中、歩いて早稲田実業学校の門の前まで行きました。「日本の宇宙開発発祥の地」の記念碑を見るために。
この碑は、2005年に国分寺市が日本の宇宙開発発祥の地であることを伝承するために建立されたものです。駅北口から徒歩7分とのこと。
早稲田実業学校は2001年に国分寺市本町の現在地に移転してきました。それ以前には新日鉄の関連施設があったらしい。
ペンシルロケットの実験が行われたのは、
昭和30年(1955年)、糸川英夫博士率いる東大生産技術研究所が、国分寺市本町一丁目の南部銃製造所(現早稲田実業学校)で、日本初のペンシルロケット試射テストを行ないました。 ロケットの全長は23センチメートルあまりで、あまりに小さい本体のため「ペンシルロケット」と呼ばれています。
→国分寺市のサイト
国分寺駅の近くには学校が多くて、地図で見ると広々としています。少し前まで田舎の風景だったことが想像できます。
そして道の向こうは小金井市。
今は歩くたびに、畑が駐車場になり、駐車場が家に替わる。ちょっと寂しい。
場所は→日本の宇宙開発発祥の地 顕彰記念碑
帰りはスーパーオリンピックまで遠回りしながら歩きました。
ついでに買い物を済ませて。
歩数 6610歩
午後は冷たい空気に一転しました。
午前中に歩いておいてよかった。
午前中は暖かかった月曜日の午前中、歩いて早稲田実業学校の門の前まで行きました。「日本の宇宙開発発祥の地」の記念碑を見るために。
この碑は、2005年に国分寺市が日本の宇宙開発発祥の地であることを伝承するために建立されたものです。駅北口から徒歩7分とのこと。
早稲田実業学校は2001年に国分寺市本町の現在地に移転してきました。それ以前には新日鉄の関連施設があったらしい。
ペンシルロケットの実験が行われたのは、
昭和30年(1955年)、糸川英夫博士率いる東大生産技術研究所が、国分寺市本町一丁目の南部銃製造所(現早稲田実業学校)で、日本初のペンシルロケット試射テストを行ないました。 ロケットの全長は23センチメートルあまりで、あまりに小さい本体のため「ペンシルロケット」と呼ばれています。
→国分寺市のサイト
国分寺駅の近くには学校が多くて、地図で見ると広々としています。少し前まで田舎の風景だったことが想像できます。
そして道の向こうは小金井市。
写真は、クリックすると大きく見られます。
今は歩くたびに、畑が駐車場になり、駐車場が家に替わる。ちょっと寂しい。
場所は→日本の宇宙開発発祥の地 顕彰記念碑
帰りはスーパーオリンピックまで遠回りしながら歩きました。
ついでに買い物を済ませて。
歩数 6610歩
午後は冷たい空気に一転しました。
午前中に歩いておいてよかった。
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