2015-06-16 小平市 回田町の公園
2015-06-16 小平市 回田町の公園 1時間 曇り
曇りで日差しのきつくない火曜日、小平市回田町(めぐりたちょう)の公園や緑地に行きました。市役所でもらった「小平市全図}のシティマップを手に、徒歩で。
地図には、昨日行った回田緑地も載っています。
今はあじさいの季節、花を愛でながら出発です。
草花街道公園→(草花街道)→氷川神社→回田のんびり公園→回田緑地→回田けやきの和公園→回田ふじ公園→玉川上水遊歩道→回田わかくさ公園→草花街道公園
何れも児童遊園のような小さな空間です。公園はみんなの広場です。
回田ふじ公園に藤はみあたりません。
このあたりは、少し前まで一面の畑地であったと思われます。今はどんどん宅地化しています。玉川上水遊歩道の緑にほっとしました。
氷川神社に回田町の歴史が提示されていました・・・

回田新田は、狭山丘陵の東南にある廻田村(現東村山市廻田町)を親村とする新田である。その開発に当たっては、幕府に開発願を出して一定区画を割り渡されると言う、一般に行われた手続きを踏まずに、享保11年(1726)野中新田から土地を譲り受けて発足した、武蔵野新田でも変わった開発形式を持つ新田である。初めの頃は、家を造って定着しようとする物など一人もいなかったが、幕府の方針もあり農民の定住が進むと、精神的支柱としての神社建立を要望する声が村民の間に起った。そこで、宝暦5年(1755)新田の有力者である弥兵衛の持地を社地として提供してもらい、本村の氷川明神と稲荷明神の両社の枝宮として勧請したのが、この氷川神社である。
現在の社殿は、安政6年(1859)に再建されたものと言われ、昭和30年代に屋根の吹き替えその他の大改修が行われている。
祭神 素戔嗚命(スサノオノミコト)
祭礼 9月19日
境内地 403平方メートル
本殿 間口 2.7メートル
奥行 1.8メートル
拝殿 間口 4.5メートル
奥行 3.6メートル
氷川神社は→小平市 回田町の公園

平坦な2.5㎞の散策です。
時に和む人がいましたが、子供たちの姿はありませんでした。平日の午前中ですし。
取り残しが回田けやき公園、回田第2公園、鈴木小南公園です。これらは少し離れているので、今度自転車で行くつもり。
曇りで日差しのきつくない火曜日、小平市回田町(めぐりたちょう)の公園や緑地に行きました。市役所でもらった「小平市全図}のシティマップを手に、徒歩で。
地図には、昨日行った回田緑地も載っています。
今はあじさいの季節、花を愛でながら出発です。
草花街道公園→(草花街道)→氷川神社→回田のんびり公園→回田緑地→回田けやきの和公園→回田ふじ公園→玉川上水遊歩道→回田わかくさ公園→草花街道公園
何れも児童遊園のような小さな空間です。公園はみんなの広場です。
回田ふじ公園に藤はみあたりません。
このあたりは、少し前まで一面の畑地であったと思われます。今はどんどん宅地化しています。玉川上水遊歩道の緑にほっとしました。
写真は、クリックすると大きく見られます。
氷川神社に回田町の歴史が提示されていました・・・

(動画あり)
回田新田は、狭山丘陵の東南にある廻田村(現東村山市廻田町)を親村とする新田である。その開発に当たっては、幕府に開発願を出して一定区画を割り渡されると言う、一般に行われた手続きを踏まずに、享保11年(1726)野中新田から土地を譲り受けて発足した、武蔵野新田でも変わった開発形式を持つ新田である。初めの頃は、家を造って定着しようとする物など一人もいなかったが、幕府の方針もあり農民の定住が進むと、精神的支柱としての神社建立を要望する声が村民の間に起った。そこで、宝暦5年(1755)新田の有力者である弥兵衛の持地を社地として提供してもらい、本村の氷川明神と稲荷明神の両社の枝宮として勧請したのが、この氷川神社である。
現在の社殿は、安政6年(1859)に再建されたものと言われ、昭和30年代に屋根の吹き替えその他の大改修が行われている。
祭神 素戔嗚命(スサノオノミコト)
祭礼 9月19日
境内地 403平方メートル
本殿 間口 2.7メートル
奥行 1.8メートル
拝殿 間口 4.5メートル
奥行 3.6メートル
氷川神社は→小平市 回田町の公園

平坦な2.5㎞の散策です。
時に和む人がいましたが、子供たちの姿はありませんでした。平日の午前中ですし。
取り残しが回田けやき公園、回田第2公園、鈴木小南公園です。これらは少し離れているので、今度自転車で行くつもり。