奈良県宇陀市 宇陀松山 散策
2014-04-07 奈良県宇陀市 宇陀松山 散策 1時間40分 晴れ
宇陀市に行き、宇陀松山を散策しました。ここは平成18年に重要伝統的建造物群保存地区に選定された、古いまちなみが今も残っています。
観光パンフレットによると、
飛鳥時代から「阿騎野」と呼ばれ、宮廷の狩場だった大宇陀に、
戦国時代「宇陀三将」と称された秋山氏が城を築き、
その麓にさかえた城下町が宇陀松山地区の始まりとされています。
以後、宇陀松山藩や天領時代など歴史のうねりの中で変遷を繰り返し、
それぞれ時代の影響を受けながら、今日のまちなみを形成してきました。
道の駅に車を停めて、松山通り/上町通りをまちづくりセンター「千軒舎」側から、松山西口関門方向に古い街並みを楽しみながら歩きます。
春日神社から、秋山城跡までを往復。
思いのほか高くまで登ります。周りがよく見渡せます。大峰山の雪が見え、重なり合う山々が見え、ほとんど360度(邪魔な木を切れば)の展望です。
松山西口関門を確認してから、もと来た道を戻ります。
織田信長の次男である織田信雄が藩祖の大和宇陀松山藩があった時代があるとのこと。 改易後、織田家関連の物はすべて壊され、町屋が残った。
ここは交通の要所で城下町で亡くなっても商いで栄えたと。
途中「いせ弥」で奈良漬けを買い求めます。米麹の仕込みを見学しました。
私の納豆や甘酒づくり、温度調節はヨーグルティアでばっちりなのに、むらがあるのは湿気かと、分かったような気になります。米麹はここでは売り切れ。
酒蔵通りに行かなかったのは残念。
阿騎野新鮮野菜直売所で・・・

宇陀市に行き、宇陀松山を散策しました。ここは平成18年に重要伝統的建造物群保存地区に選定された、古いまちなみが今も残っています。
観光パンフレットによると、
飛鳥時代から「阿騎野」と呼ばれ、宮廷の狩場だった大宇陀に、
戦国時代「宇陀三将」と称された秋山氏が城を築き、
その麓にさかえた城下町が宇陀松山地区の始まりとされています。
以後、宇陀松山藩や天領時代など歴史のうねりの中で変遷を繰り返し、
それぞれ時代の影響を受けながら、今日のまちなみを形成してきました。
道の駅に車を停めて、松山通り/上町通りをまちづくりセンター「千軒舎」側から、松山西口関門方向に古い街並みを楽しみながら歩きます。
春日神社から、秋山城跡までを往復。
思いのほか高くまで登ります。周りがよく見渡せます。大峰山の雪が見え、重なり合う山々が見え、ほとんど360度(邪魔な木を切れば)の展望です。
松山西口関門を確認してから、もと来た道を戻ります。
織田信長の次男である織田信雄が藩祖の大和宇陀松山藩があった時代があるとのこと。 改易後、織田家関連の物はすべて壊され、町屋が残った。
ここは交通の要所で城下町で亡くなっても商いで栄えたと。
途中「いせ弥」で奈良漬けを買い求めます。米麹の仕込みを見学しました。
私の納豆や甘酒づくり、温度調節はヨーグルティアでばっちりなのに、むらがあるのは湿気かと、分かったような気になります。米麹はここでは売り切れ。
酒蔵通りに行かなかったのは残念。
写真は、クリックすると大きく見られます。
阿騎野新鮮野菜直売所で・・・

(動画あり)