佐久市 龍岡城五稜郭 散策
2012-07-02 佐久市 龍岡城五稜郭 散策 40分 晴れ
長野県佐久市臼田の龍岡城五稜郭を散策してきました。
函館五稜郭と同じ星型稜堡の洋式築城です。
この城は、大給松平氏最後の藩主、松平乗謨(まつだいら のりかた:明治維新後、大給 恒)が幕末に築きました。三河奥殿に4千石、この時、藩庁を、飛び地で田野口に1万二千石の領地がある信濃に移転したそうです。
三河奥殿藩8代藩主→信州田野口藩藩主
家格は陣屋格。城を持てない1-2万石の大名。
五稜郭は未完成(竣工祝いはあったが、建物はいたぶきのまま)明治6年に取り壊された。(明治4年城郭取り壊しの布告)
お台所のみ現存、昭和4年に現在地に移され、昭和35,6年に半解体復元。
移築建造物としては、大広間が佐久市鳴瀬落合の時宗寺の本堂として、東通用口が佐久市野沢の成田山薬師寺の門として、それぞれ移築され現存している。
竜岡藩(維新後改名)は財政破綻のため、廃藩置県前、明治4年6月2日(1871年7月19日)に廃藩。
柴田錬三郎の時代小説、「御家人斬九郎」は、 主人公が大給松平家の傍流という設定だそうです。
小学校の周りを・・・

長野県佐久市臼田の龍岡城五稜郭を散策してきました。
函館五稜郭と同じ星型稜堡の洋式築城です。
この城は、大給松平氏最後の藩主、松平乗謨(まつだいら のりかた:明治維新後、大給 恒)が幕末に築きました。三河奥殿に4千石、この時、藩庁を、飛び地で田野口に1万二千石の領地がある信濃に移転したそうです。
三河奥殿藩8代藩主→信州田野口藩藩主
家格は陣屋格。城を持てない1-2万石の大名。
五稜郭は未完成(竣工祝いはあったが、建物はいたぶきのまま)明治6年に取り壊された。(明治4年城郭取り壊しの布告)
お台所のみ現存、昭和4年に現在地に移され、昭和35,6年に半解体復元。
移築建造物としては、大広間が佐久市鳴瀬落合の時宗寺の本堂として、東通用口が佐久市野沢の成田山薬師寺の門として、それぞれ移築され現存している。
竜岡藩(維新後改名)は財政破綻のため、廃藩置県前、明治4年6月2日(1871年7月19日)に廃藩。
柴田錬三郎の時代小説、「御家人斬九郎」は、 主人公が大給松平家の傍流という設定だそうです。
写真は、クリックすると大きく見られます。
小学校の周りを・・・

(動画あり)
ぐるりと回りました。そして、すぐそばの五稜郭公園で一休み。
大手門前の佐久市歴史の里五稜郭であいの館でゆっくり。
より大きな地図で 2012夏の住処 を表示
であい館には、ボランティア当番の女性が2人いて、ピーナツや浸し豆や大豆の煮たのや、カブや筍のお漬物、そしてお茶をごちそうになりました。すべて、自分の家産のものとのこと。
カラスがスイカなどの作物を食べ、鳩が豆をほじくり、イノシシが土を掘り、鹿が新芽を食べてしまう・・・ぼやいていました。
桜の季節(4月20日ころ)においで、とのことです。
平地で3400歩。
大手門前の佐久市歴史の里五稜郭であいの館でゆっくり。
より大きな地図で 2012夏の住処 を表示
であい館には、ボランティア当番の女性が2人いて、ピーナツや浸し豆や大豆の煮たのや、カブや筍のお漬物、そしてお茶をごちそうになりました。すべて、自分の家産のものとのこと。
カラスがスイカなどの作物を食べ、鳩が豆をほじくり、イノシシが土を掘り、鹿が新芽を食べてしまう・・・ぼやいていました。
桜の季節(4月20日ころ)においで、とのことです。
平地で3400歩。