東トルコの世界遺産 ハトゥシャシュ
2012-05-22 東トルコの世界遺産 ハトゥシャシュ 晴れ
10の世界遺産を巡るトルコ感動の15日間、6日目です。
カッパドキアを出て、ボアズカレのハットゥシャシュ遺跡を見学し、アンカラに向かいます。
「峡谷の城」という意味のボアズカレ。世界遺産に登録された、ハットシャシュ、ヤズルカヤ、アラジャホユックの3つの遺跡(トルコの首都アンカラより東に145km、海抜1000mほどの丘陵地帯にある遺跡)を訪れる起点となる村。小さな博物館があるが、重要な出土品のほとんどは、アンカラのアナトリア文明博物館に展示されている。
ハットシャシュは紀元前18世紀頃、古代ヒッタイト帝国の首都であったところ。
古代ヒッタイト帝国は、紀元前20世紀頃インド・ヨーロッパ語族の一派が移動してきて、もともとこの地に住んでいたハッテイ人を支配し、史上初めて鉄器を使用する大帝国ヒッタイトを興した。その後、ヒッタイトの王は王城を築きハットゥシャシュを首都とした。推定人口は、9000人~15000人とのこと。
1906年、ドイツの考古学者フーゴー・ウィンクラーによって発見された。その後、発掘調査がおこなわれ、大神殿跡、突撃門や上の街神殿群跡、獅子門などが確認されている。1986年、ユネスコの世界遺産に登録された。
日本では考えられない、途方もなく古い歴史・・・

10の世界遺産を巡るトルコ感動の15日間、6日目です。
カッパドキアを出て、ボアズカレのハットゥシャシュ遺跡を見学し、アンカラに向かいます。
「峡谷の城」という意味のボアズカレ。世界遺産に登録された、ハットシャシュ、ヤズルカヤ、アラジャホユックの3つの遺跡(トルコの首都アンカラより東に145km、海抜1000mほどの丘陵地帯にある遺跡)を訪れる起点となる村。小さな博物館があるが、重要な出土品のほとんどは、アンカラのアナトリア文明博物館に展示されている。
ハットシャシュは紀元前18世紀頃、古代ヒッタイト帝国の首都であったところ。
古代ヒッタイト帝国は、紀元前20世紀頃インド・ヨーロッパ語族の一派が移動してきて、もともとこの地に住んでいたハッテイ人を支配し、史上初めて鉄器を使用する大帝国ヒッタイトを興した。その後、ヒッタイトの王は王城を築きハットゥシャシュを首都とした。推定人口は、9000人~15000人とのこと。
1906年、ドイツの考古学者フーゴー・ウィンクラーによって発見された。その後、発掘調査がおこなわれ、大神殿跡、突撃門や上の街神殿群跡、獅子門などが確認されている。1986年、ユネスコの世界遺産に登録された。
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日本では考えられない、途方もなく古い歴史・・・

(動画あり)