大垣市 墨俣一夜城
2023-04-14 大垣市 墨俣一夜城 20分 曇り
金曜日、大垣市墨俣(すのまた)町の墨俣一夜城(大垣市墨俣歴史資料館)に行きました。
史実では天守閣のある城ではなく、砦であったとのこと。砦とは要塞(ようさい)、外敵等から戦略上重要な地点を守る為に築かれた構築物。

織田信長の美濃侵攻にあたっての足掛かりとなったとのこと。長良川西岸のこの地は戦略上の要地であったとのこと。
江戸時代は美濃路の墨俣宿でした。
美濃路は熱田宿から垂井宿まで、東海道と中山道を結ぶ脇街道。(東海道は七里の渡しを舟で渡ることになるが、徒歩や馬の場合はこの道で中山道へ向かうというバイパスの役割)

資料館の内部のビデオが公開されています
→墨俣一夜城
大垣市>文化振興課のページ>文化施設>墨俣一夜城(大垣市墨俣歴史資料館)
旧墨俣宿の半分は犀川作成時に消えていますが、犀川堤はサクラの名所墨俣犀川堤です。

館内あちこちに吊り飾り(つりびな)が飾られています。(墨俣地域では毎年3月、旧美濃路墨俣宿一帯で、ひなまつりに合わせた「つりびな小町めぐり」が開かれる)
観光のため、と職員が教えてくれました。

墨俣一夜城は→墨俣一夜城(大垣市墨俣歴史資料館)
いつか、ゆっくりと墨俣宿を歩いてみたいです。
金曜日、大垣市墨俣(すのまた)町の墨俣一夜城(大垣市墨俣歴史資料館)に行きました。
史実では天守閣のある城ではなく、砦であったとのこと。砦とは要塞(ようさい)、外敵等から戦略上重要な地点を守る為に築かれた構築物。

織田信長の美濃侵攻にあたっての足掛かりとなったとのこと。長良川西岸のこの地は戦略上の要地であったとのこと。
江戸時代は美濃路の墨俣宿でした。
美濃路は熱田宿から垂井宿まで、東海道と中山道を結ぶ脇街道。(東海道は七里の渡しを舟で渡ることになるが、徒歩や馬の場合はこの道で中山道へ向かうというバイパスの役割)

資料館の内部のビデオが公開されています
→墨俣一夜城
大垣市>文化振興課のページ>文化施設>墨俣一夜城(大垣市墨俣歴史資料館)
旧墨俣宿の半分は犀川作成時に消えていますが、犀川堤はサクラの名所墨俣犀川堤です。

館内あちこちに吊り飾り(つりびな)が飾られています。(墨俣地域では毎年3月、旧美濃路墨俣宿一帯で、ひなまつりに合わせた「つりびな小町めぐり」が開かれる)
観光のため、と職員が教えてくれました。

写真は、クリックすると大きく見られます。
墨俣一夜城は→墨俣一夜城(大垣市墨俣歴史資料館)
いつか、ゆっくりと墨俣宿を歩いてみたいです。